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野島伸司さんのドラマはやっぱり恥ずかしかったし、みんな恥ずかしいものが好き

私の唯一の趣味である生け花を題材にドラマをやるというので『高嶺の花』を見ました。主演は石原さとみ、相手役は銀杏BOYZの峯田和伸、脚本は野島伸司。

最初は石原さとみのお嬢様ぶりに違和感がありましたが、それに慣れたら、あとはもう抜群に可愛くておしゃれで。毎回楽しみなドラマになりました。ドラマの後にはその日の衣装を検索してました(それにしてもSLYとか安いのは即完売するし、安いワンピースも石原さとみが着ると高見えするし、売り切れた品がメルカリでアコギな値段で売られているのを見るのも面白い)。

野島さんらしくフワッフワッで現実離れした設定だけど、峯田和伸が錨になってて、本当にこの人がいなかったら私は見切れなかったかもしれないと思います。

私は多分過剰にテレビドラマを見ながら恥ずかしいと思ってしまうタイプで、野島伸司の「高校教師」はもちろん、「人間・失格」とかは予告編だけでビビり見れませんでした(海外ドラマは大丈夫なんですけど)。

そういう過去があるので、今回野島伸司さんのドラマは恥ずかしいシチュエーションがありつつも、大分見やすくなったと思います(私が年取ったせい?)。結末も明るいしね。

その1つは、生け花の家元という、よく知らない、でも、あーもしかしたら閉ざされた世界でヤバイことが起こってるかもなーと想像させる世界設定がよかったんだと思います。

“家元の命令に逆らえなくてハニートラップをしかけて妊娠して結婚する”なんてことは生け花の世界には絶対ないと思います。

(ちなみに後ろ生けという、観客に生けるプロセスがよく見えるように、生け手が花の正面には立たず、後ろから生けるという手法が出てきますが、あれは私の先生が属する流派にはありません。ドラマの監修は草月流なので草月流の手法だと思います)

物語の古典的なスタイルに「ビルディングストーリー」がありますよね。主人公が成長していくプロセスが物語になる。困難を乗り越えると成長になりますが、多くの人の目に触れるには共感される困難が必要です。失恋とか、ひとり旅とか。それだと個人的すぎるから、体制とか権力とかに穴を開けると、みんなの抑圧された気持ちにも穴を開けて、広く共感を得られる。昔は学校の先生への反発だけで物語になったけど、今強固な体制とか常識が崩れてきてる。だから、あえて生け花の世界っていう、ニッチなものが題材になったのかなと思います。

家元っていう権力者への反抗で、石原さとみは最後「私はお花」って言って新しい流派を初めて独立しちゃうわけですから。しかも結婚して町の生け花教室の先生になって好きなことをするというのは、女性ならありがちというか。結婚して習い事してポーラセーツのお教室を自宅で開くとか、自己実現でいいと思いますが、まぁよくある話ですよね。「私はお花」っていうトリッキーなことを言う割には普通の結論に落ちついたともいえるけど、特別さへの反抗としてはこれ以上ないくらいの成功なのかもしれません。

で、「私はお花」発言ですね。生け花のレッスンでは「花の声を聞け」と言われます。人間の“自分を表現したい”というエゴは花によって中和されます。もちろん人間の個性は作品に反映されますが、花が主役です。生け花は天地人(宇宙と自然と人間がいる世界というか)を表現する知恵でもあるので(知ったかです)、もしも石原さとみが「私はお花」と言ったなら「すっげー!悟ってるじゃん!」と私は思うのです。

その境地に至り峯田和伸が営む自転車屋さんでお教室を開くなら、普通の教室とは一味違うだろうし、むしろ続きが見て見たいなって思いました。

恥ずかしさにもいろいろありますが、隠されているべきものがめくれる恥ずかしさっていうのがあると思います。子供の頃、母が言っていました。「みんな心もお化粧をしているの。だから安易にそれを剥がして見せろなんて言ってはいけないのよ」と。

隠されているべきもの、言い換えれば、何が表にあることとして語られているのかですよね。昔はその表と裏の違いが強烈だったけど、今はもっと薄くなっています。だから敢えて隠されているものを作り出し、炙り出さないと人の気持ちを揺さぶるものはできないのかもしれませんし、「まだそれをやる?」という見方というか、それをやろうとすること自体が安心するけど恥ずかしいみたいなのもあると思います。いや、だから変わらず恥ずかしい野島伸司が好きとも言えます。

結局、やっぱり隠されているものをめくるっていう恥ずかしさ、そういうのって見てみたいし、ワクワクするし、みんな好きだろうなって思います。

写真は私が出展した展覧会からで、撮影はカメラマンの玉利 康延 (Yasunobu Tamari)氏です。