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舞台背景と演者をバラバラに考えがちだけど、それではわからない

AIの会社にいると「最先端の会社にいるね」と言われることがあります。

今、私はいろんな人とできるだけ日々会うようにしているのですが、最先端っぽいAIに興味のある人と話すことが多いせいか先々社会がどう変わっていくかに関心のある人と話すことが多々あります。

AIとかブロックチェーンとかが資本主義経済も労働の仕方も変えていくだろうし、ベーシックインカムが導入されて仕事をする時間が大幅に減る可能性とかね。

演劇が好きなので舞台にたとえますけど、社会の変化は舞台背景みたいなもので、それは必ず変わっていくよね、と。その時、舞台の上に立つ演者である人間がどう振る舞うようになるんだろうね、みたいな話をします。

反対にAIが怖いというようなことをおっしゃる方の中には、舞台背景が今のままで、そこにパーツとしてのAIを切り取って持ち込んで怖いとおっしゃってるんだなと思うこともあります。

舞台背景   舞台装置    演者
未来    x AI      =ワクワク
今     x AI      =怖い

同じAIについて話していても、それをとりまく背景をどう考えているかで反応は変わるのだと思います。でも、背景をどう考えているかはあまり言語化されないので、そこを聞くのが大事なんだなぁと思います。(ちなみにパーツとしてのAI、範囲をこえてこないAIがどんなに増えても怖くないと思います。と言ったら「それを扱う人間が悪用することが怖い」とおっしゃった方がいて、それはそうだなぁと思いました)

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AIを怖いと思っていてもワクワクと思っていても何でもいいんですけど、私が面白いなって思うのは、未来のことをよく考えていろいろ分かっている方でも、「今」の話になると、「今」らしい振る舞いをして当然だという反応に戻ることがある時です。

「今」らしい振る舞いって書くのはちょっとずるくて、具体的には書けないのですが、ちょっと前の振る舞いって感じでしょうか。だから、「どうして株式会社わたしはは、そんなことをするんですか?」と聞かれる時に、面食らう時があります。

株式会社わたしはは、未来を志向して動いているので既存のルールとは違うルールで動く部分があって当然といいますか。

何が言いたいかというと、アタマでいくら未来を想像しても、自分の振る舞いを変えていくことは難しいんだなと思います。頭で理解することが身体まで染み渡るまでは時間がかかるなぁみたいなことなんですけど。

言い方を変えれば、それくらい振る舞いは、背景に規定されるということかもしれません。もしもそうなら、背景が変わったら、どんなものにも人間は適応していくんだろうなとも思います。

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以前、脳研究者の池谷裕二氏にインタビューをさせてもらった際、人間はヤワではないという話を教えてもらったのですが、そのたとえとして出たのが文字の発明です。文字が発明される以前は、人間は伝統や宗教を口伝していて、文字が発明された時「最近の若いものは暗記しないのでけしからん、神のご加護が薄れ人類は滅びる」というようなことを長老などがいったという記録が残っていると教えてもらいました。

その時のインタビューは技術の進化により便利になった人間は馬鹿になるかどうかについても話ました。

声だけで電気が消せるようになって確かに何かの能力を失うと思うんですよね。その失うものは長老からしたら、人間味の1つであって、それは失ってはいけないもので、AIやIoTは人間をダメにすると言われるかもしれない。でも、それは穿った人間の見方で、人間像というのはカチカチに固まったものではありません。新しい技術が出たらそれを取り込んでさらに別の能力を開発していく位、柔らかい可能性を脳は秘めています。出典:脳研究者・池谷裕二氏に聞く【後編】スマートスピーカーネイティブは何を生む?|SmartHacks

これまでだって、けしからんことは沢山あったのだけど、現代の我々が文字をけしからんと思わないのは、背景がもう変わっているからですよね。どんなものにも適応できるし、適応してしまうくらい、人間は柔らかい。強いわけではなく柔らかいというのはいい表現だなぁと思います。

舞台装置とそこで演じる人をバラバラに考えがちですが、でも、実は両方共がゆっくりと変わっていく。だから何だという話ですが、だから大丈夫とも言えるし、だから思考実験は楽しいとも思います。