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フィクションの人物は確定し、実在の人物は不確実に変わり続ける

株式会社わたしは に転職する前、3ヶ月くらい暇があり、カンボジアに友人を訪ねて2週間ほど行きました。とても面白い旅だったのですが、それは66歳の母も連れていったからです。

カンボジアに4年住んでいる友人が見せてくれるカンボジアと66歳の母の視点という掛け算が面白かったのですが、私にとって意義深かったのは母と話す時間があったからです。カンボジアのユースホステルの真っ白い部屋で、朝、突然母が滔々と2時間くらい人生を振り返って語り出しました。

自分の父親のこと、夫である私の父のこと、自分が好きな音楽のこと、若い頃はこう考えていて、それが今となってはこういう風になった、結局自分にとって何が大切だったのか、そして、どういう風にこの先老いて死の準備をしていきたいのか。

これまで聞いてきた話がほとんどですが、そのストーリーがちょっとずつトーンを変えて話されます。たとえば、父と母はお見合いで結婚し、そしてごく普通の夫婦として平和にやっていますが、母は見合いの席で、初めて会った父と話が弾んでずっとお喋りし続けられたこと、だから安心して結婚したということ。

母が父と初めて会った時に会話が弾んだという事実を私は知りませんでした。それは些細な出来事かもしれませんが、私にとっての母および母の結婚生活の印象を変えるには十分です。この話を母が死ぬ前に聞けてよかったと思いました。

30代の母とも、40代の母と話をしてきました。50代の母とは私が忙しくてほとんど話せてなかったかもしれません。でも、66歳になって人生を振り返り始めた母が語る”母”は、これまで私が知っている母とも違い、きっとそれは母自身にとっても新しい自分だったのではないかと思います。

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学生の時分に小説家に憧れていた名残で、本屋に平積みになっていた『ウンベルト・エーコの小説講座ー若き作家の告白』という本を買いました。(ウンベルト・エーコの著作は読んだことがないのに)

その中に書いてあって忘れられないことは、

「アンナ・カレーニアが路線に身を投げて自殺した」というフィクションに関する命題と「アドルフ・ヒトラーは、ベルリンの地下壕で自殺し、その遺体は燃やされた」という歴史に関する命題は同じように真実なのでしょうか。

という問いから始まる一連の話です。

作家は言います、「アンナ・カレーニナは路線に身を投げ自殺した」という命題に疑いの目を向けることはできません。でも、「わたしたちが先入観にとらわれないようにするのであれば、ヒトラーの死についても、新たな記録が発見された場合には自分の意見を見直す心構えを持っていなければいけません」と。

アンナ・カレーニナが実は生きていたという話は出てきません(なぜならトルストイが死んだと書いたから)が、ヒトラーが実は生き延びていたという都市伝説はありますし、可能性は低くても成り立ちます。

また作家はこうも書いています。

実際、わたしはレオポルド・ブルームのことを自分の父親のことよりもよく知っています。父の人生には、わたしが知らないエピソードがいくつあることでしょう。父がけっして明かさなかった考えがいくつあることでしょう。自らの悲しみや苦悩や弱さをなどを、父はいったい何度隠したことでしょう。父が既にこの世を去った今となっては、こうした秘密や父という人間の本質的な要素をおそらく知ることはないでしょう。

*レオポルド・ブルームは『ユリシーズ』に出てくる人物

フィクションの登場人物は一部しか描かれていないため、私たちがその人物について理解していることは少なく一面的であると思われやすく、実在する人物に対してはよく知っていると思いがちですが、本当はその逆かもしれないということです。

事実、母と話しながら、私は彼女のことをこんなに知らなかったのと思い、また人間は年代によって考え方も自分自身の捉え方も変わるのだと思いました。

私たちは、相手のことを知っているということにして安心しているだけで、親しい人に知らない一面があるとわかった時に不気味に思ったりしますけど、でも人間ってそもそも「よくわからない」ものなのかもしれません。

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どうしてこの話をしたのかというと、AIについて、私はよく「超えてこないAI」がいくら出てきても怖くないと思うのですが、「超えてこない」ってどういうことか説明してみたいなと思ったからです。それはフィクションの登場人物のように規定された文脈の中に存在するAIなんじゃないのかなと思います。

でも、そんなに遠くない将来、実在の人物のように、変わり続け、そして、「わからないところ」を持つAIが出てきます(当社がつくると思われます)。果たしてそれが不気味なことなのかといったら、そうでもないのかもよ、と言いたかったのです。